こんにちは、Philip/K/Komです。
ブログ、SNS、販売サイトの投稿の一切を護藤に任せっきりなので、たまには僕も書こうかかな。
というのも、今月の11日に38歳になったんだよね。
護藤も同級生なので、あいつは8日に38。
3日先輩ということになる。
あまりこういった文章を書く作業をしないのは、僕が文章を書くと説教っぽくなるというか、偉そうに見られる場合があるから、護藤と相談して控えてたんだ。
まあ、年に1回くらいはいいだろう。
あと僕は話が長くなる癖があるから、この記事も長くなってるから時間ある時読んでもらえると嬉しいな。
さて、何の話をしようか。
興味ある人がいるかは分からないが、この取り組みを始めたきっかけでも書こうかな。
メンバーページでも書いてあるように、僕は大学院を出てからは24歳から34歳まで本田技術研究所(現本田技研工業)にいたんだ。
そこで、人間工学部というところで自動車シートの機能設計を担当していた。
とても忙しい会社でね。
自動車業界のしのぎを削りあう競争では、かなりタイトなスケジュールで仕事をしていた。
最初は、なんとか僕も一生懸命やっていたんだけど、次第におかしくなってきた。
夜寝られなくなったんだ。
今まで眠れないなんて事なかったから、自分でもとても驚いた。
なんとか朝起きて会社に行っても1日中眠い。
集中力が全く無くなっちゃったんだ。それでもやらなきゃいけない事はゴマンとある。
そうするうちに不眠症は悪化し、持病のアトピーが爆発した。
僕は生まれつきアトピーがあったんだけど、別に20代は特に問題視してなかった。
ところが、入社して5年目になった時に起きた。
かゆいを通り越して痛いんだ。
体中がひび割れて、顔も真っ赤、歩くのもシンドイ。それでも会社に行き続けた。
不眠症に加え、アトピーで余計眠れなくなった。
今思い返しても、この前後の年は人生で一番辛かった。
泣きっ面に蜂で躁鬱にもなってしまい、約1年会社を休職した。
地元の免疫治療の病院に通い始めて、なんとか少しづつ良くなってきたけど、休んでみて感じたのが、なんというか言葉にしにくいんだけど、仕事が楽しくないのに気づいたんだよね。
よく友達や近所の人からは、一流企業に勤めててすごいなんて言われたけど、僕は全く嬉しくなかった。
だって、別に僕が起業した会社でもないし、別にサラリーマンとして特別な事をしているわけでもない。
ただその会社が多くの人が知っているということだけだから。
34歳になった年に会社を辞めた。
まあなんだかんだ10年近く、会社にいたんだけど、なんですぐに辞めなかったというところに理由があるんだ。
僕がいた部署は人間工学と言ったけど、この分野はとても奥が深い。
本田宗一郎さんが研究所を立ち上げた時の「人間研究」という言葉の礎みたいな部署なんだ。
そこに5年間くらい上司だったSさんという人がいた。
僕が入社当時にすでに50歳近い職人だったんだけど、この人は僕の人生の中でも本当に勉強になったと今でも尊敬している。
この人は、とことん物事の本質を大切にする人なんだ。
「俺たちの作っているのは、自動車シートでも自動車でもない。イベントなんだよ。」
入社当時は全く意味が分からなかったが、要は自動車会社といっても、自動車そのものに本質的魅力があるわけではなく、自動車に乗ったときの楽しさや利便性が本来の商品ということだ。
この考え方はどんな商売に通じると思う。
まあ僕が偏屈になってしまったのも、ある意味この人のおかげでもある。
ともあれ、人生で数少ないメンター(師匠的な人)に出会えてとてもラッキーだった。
しかし、サラリーマンの世界は難しい。
サラリーマンの世界に天才・秀才は必要ないんだよ。
言ったことをちゃんとやって、朝来て夜帰る従順な凡才がたくさんいればいいんだ。
Sさんは原理主義とも言える、物事の本質を問う人だったから、周りが困惑するんだ。
Sさんは管理職だけど現場よりだったから、会議や社内イベントで意見が求められる。
そこで、自分たちが楽(手を抜く)をしたいというのが見透かされるような仕事や日程は徹底的に糾弾するんだ。
「それは本当にお客さんのためになるの?それって楽したいだけじゃないの?」
僕はSさんと同じグループの性能設計・評価にいたから実際に図面を書くのは設計だったんだけど、その設計の人達がいわゆる”妥協案”を出してくると青筋を作って怒った。
僕たち同グループにもちゃんと実のなる仕事をしていないと怒鳴りこんできた。
もはや、今は存在しないであろう親方タイプの人だ。
でも、結局研究所というのは、アイディア勝負みたいなところもあるし、コスト管理も厳しい上に日程もかなり細かい。
どうしても、妥協になってしまう部分はあるんだ。
Sさんは理由無き妥協は絶対に許さなかった。そりゃ満額100点の仕事を維持するのは出来ないよ。だから、ここはこういう理由で妥協するけど、ここの部分で挽回しますっていうようなちゃんとロジックが無いと決して納得しなかった。
本当に仕事に正面から向き合った人だよ。
ところが、会社はそれを良しとはしなかったんだよね。
そりゃ、いろんな会議や報告でアリストテレスの様な禅問答でひっかきまわされては(本人はそう思ってないけど)、物事が進まない。
Sさんが若い前線部隊の時代は、そういったパッションの人が多かったと思うから、ベクトルが揃っていたんだろうけど、現代ではそういうパッションは邪魔になっちゃうのかな。
Sさんはとうとう機種開発のグループを外されてしまった。
もちろんクビになんてならないけど、Sさんをいれて4人のグループをあてがわれた。
それはそれでSさんは楽しそうにやってたんだけど、僕とグループが異なってしまったんで、なかなか話す機会が減っちゃんたんだ。
だから昼飯は積極的にSさんを誘って他愛ない会話をした。
そのうち、Sさんは人間工学とは関係ない部署に配属されちゃったんだ。
僕は、Sさんには前線に近いところで檄を飛ばしてほしかったんだけど、なかなか厳しいね。
長くなったけど、この時に会社を辞めようと思ったんだ。
結局、ちゃんと物事の本質を見極めて戦う人を煩わしく思って、島流しするような会社にいても僕は仕事出来ないって思っちゃったんだよね。
もちろん、辞める理由にそんな事は言わなかったけど、事実はそうなんだ。
色々文句は言ったけど、ホンダは良い会社だったと思うし、感謝してる。
ただ、今の日本の経済状況下で自動車会社はとても厳しい環境にある。
だから出来る事と出来ない事があるんだなって思う。
まあ会社辞めるのは良いけど、さて何をやるか?
会社辞めて2年間くらいは、投資とかしながらブラブラしてたんだ。
食えるくらいはあったけど、全くと言って心が満たされないんだ。
あくまで持論だけど、お金を稼ぐっていうのはさ、作る側と買う側の両方向の幸福があって初めて意味のあるお金だと思うんだ。
投資でお金を使ってお金を増やすって、結局仲介する部分に幸せがないから、充実感を感じられなかった。いやもちろん投資で生活するのはとても大変だし難しいし忍耐もいるからそれ自体を否定はしていない。でも僕にはあってなかったのかな。
そんなこんなで、何をやるか考えた時、自分が一番好きな事をしてみようと思ったんだ。
それが決して上手くいかなかったとしても、食えなかったとしてもやってみようと思った。
それがたまたま僕の場合は絵だったんだよね。まあ絵に拘らず、観る人の感情に刺激を与える表現方法なら何でも良い。
僕はずっと工業的な仕事をしていたからアートを生業とすることに経験がない。
アートってとてもシンプルなところが好きなんだ。
僕自身は絵が好きでよく休みの日に観にいったりしてたんだ。
絵って、特に何かの役に立つとか、何かが改善されるとか一切ないんだよね。
工業製品だったら、必ず何か生活の役に立たなくては意味がない。
でもアートは全く逆なんだ。
役に立たないからこそ意味があるんだ。
現代の色んな商品は、もっと効率化、もっと早く、もっと安く、もっと快適に!
っていうのが商品の一番大きい魅力となっている。
それはそれでいいんだけどさ、その先に何があるんだろう?
どんなに効率的な商品が生み出されたとしても、結局使うのは人間だし、人間はいつか死ぬ。人生においてその商品の魅力がどんだけ寄与されるかは誰も考えていないんだ。
とりあえず、1秒でも早く、1kgでも軽くっていうカタログスペックが全てのように書かれている。
普通に考えたら、僕の今までの経歴を考えれば何か工業製品を設計したり、作ったりするのが本流だと思う。
でも結局優れた商品はいつか古くなりカタログで見劣りするようになる。
もっと優れた性能の商品が日夜世界中で作り続けられている。
そうやって発展があると思うんだけど、僕のいる世界ではないと思うんだ。
僕は人の心に永遠に残る様な瞬間を創りたい。
本当に感動した映画は今でも鮮明に思い出せるように、アートというのは向かい合っている人に直接訴える事が出来るんだよね。
そこには、カタログスペックなんかない。
良いと思うから良い!
それが人生で一番大切なんじゃないかな。
今の時代は情報にあふれてるからね。
ネットで調べれば商品の詳細から値段まで全て出てくる。
まさに魔法だよ。
だけどさ、この感覚になれると人間直観力がどんどん衰えてくるんだよね。
物事を判断するのに、多くの情報が必要となる。情報が少ないと心配になって一歩踏み出せない。
そうなると人間の選択肢ってすごく狭まるんだ。不確定要素お断り状態ともいえるかな。
すごく失敗もしないけど、すごい成功もない。
まあそれが維持できるのもすごいといえばすごいが。
偉そうに言わせてもらうと、アートってこの直感を刺激するのが肝だと思うんだ。
観た瞬間に何かしらの感情の変化が起こる様な。
だからアートは究極 "フィーリングの圧縮"みたいな存在だと思う。
まああくまでも僕の考えだから違うという人も多いだろうけど、僕はそう思う。
そういうわけで、Sさんと出会いから始まり、本質な人の喜ぶ仕事がしたいというところから好きな絵(その他色々)を生業にしようと思ったのがキッカケなのかな。
まあまだ初めて2カ月くらいだから、色々勉強中だけど、僕なりにやれたらいいなと思っているよ。
長くなったけど、僕の人生を振り返ってみた。
お付き合いしてもらった人はありがとう。
また何かのきっかけで記事を書くことがあれば、またヨロシク
Philip/K/Kom
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