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<閲覧注意>芸術論談義③ ~芸術はどうあるべきか?~

更新日:2021年12月31日

こんにちは、こんばんは、おはようございます。

【Z.A.P】Philip/K/Komです。


約1か月に一度書いています、芸術論談義の第三回を書いていこうと思います。

相変わらず、僕の個人的な思想ですので、正しいとか間違っているとかは特に考えていません。当記事に関して、コメントや質問等あれば、コメント欄に記載してくれますと嬉しく思います。


さて、11月も後半となり、めっきり寒くなりました。

日本の季節で言えば立冬を過ぎたという事になります。


しかし、現代ではエアコンや暖房器具で快適に過ごせますけど、それこそ半世紀前くらいでは、そんなの一切なくて「冬は寒くて当たり前」という、なんというか気合で乗り切っていたと思うと昔の人は根性があると思う。


芸術に関しても、時代とともに大きく移り変わったと言えます。

まあ僕は全ての芸術史を知っているわけではないので、そんなに多くは語れないけど、日本ではたくさんの芸術があったわけです。


と言っても、日本(戦前より前は日本という国名ではないけど)は大変貧乏な国であったため、芸術といってもとても質素なものだった。

錦絵や屏風など今でも国宝や文化財として残っているが、当時は基本的に庶民の手に入る事はほとんどなかった。

まあ贅沢禁止令みたいなものが国全体の考えとしてあったというのもあるし、そもそも調度品や絵を買うほど豊かではなかった。極一部、藩やいわゆる自治体に収めるために高価なものもあった。

町民、中でも豪商などの一部のお金持ちは陶器や掛け軸を愉しんだようだ。


何が良いたいのかというと、そもそも日本は芸術という面で海外よりも非常に奥手な部分が未だに強く残っているという事だ。

「芸術なんてお金持ちの趣味」「絵を飾るなんて豪邸じゃなきゃ様にならない」などなど、”芸術”というのがどこか遠い高尚な趣味として考えられてしまう地盤を作ってしまったんだ。

だから海外、特にヨーロッパ圏よりも芸術に対する国の支援も薄く、芸術が生活に根付いていないため、芸術家を目指そうという人もあまり出てこない。

芸術大学を卒業する人達は芸術家になる確率は高いと言えるが、芸術家になりたいからといって、学費が高い芸大に誰でも通えるかと言えば難しい所もあるが。

なんでもかんでもヨーロッパの方が文化として豊かだとは言わないが、芸術の考え方がそもそも日本と西洋では大きく異なる点は理解しておかないといけない。


それでは、日本におけるいわゆる”芸術”とはなんなのか?

最も身近なものは音楽だろう。毎日毎日、何万人というアーティストが世の中に曲を発表している。日本独自の発展を遂げたひとつの成功例と言える。

ただここでもひとつ現代における問題点があると思う。

別にいちゃもんをつけるつもりは無い。

一時期、一世を風靡した某48系グループを筆頭に、歌詞そして曲が非常に分かり易くなっている点だ。

それだけ見れば、別に良い事じゃないかと思えそうだが、そうはいかない。

それは、1曲の中に全てが説明されていることだ。

イマイチピンと来ないかもしれないが、王道テーマである「恋愛」「失恋」「別れ」「旅立ち」などを例に挙げると、登場人物とイベントが事細かにすべて歌詞で歌われている。

わかりやすい、とてもわかりやすい。でもそれは全く奥行きが無いんだ。

聴く手側が想像や思いを馳せる隙間が一切ないんだ。もう○○という曲はいつどこで聴いても同じなんだよね。

歌つまり詩というのは、和歌から始まったように、伝えたいメッセージをいかに少ない文字数で表現するかが風情、つまり芸術的かということになる。

少なければ良いというものではなく、要点をいかに聞き手に伝えられるか。そして聞き手はどう感じるか?そこに作品の魅力がある。

同じ曲を聴いても、自分の状況や聴く場所など環境によって感じるものが違うからこそ、またその曲を聴きたくなる。そのアーティストを好きになる。


第一回の「芸術とは?」で述べたように、「芸術」とは作り手と観客が何か想いを想起されて初めて芸術になり得るんだ。

だからこそ、”多くを語り過ぎない”という努力・工夫というのが非常に大切になってくる。

残念ながら僕は、近年の曲はこういった”全部語りつくす現象”が進んできていると思っている。

これはよくあるパターンの「昔はよかったなぁ」という安直な結論では無い。


では、なぜそうなったのか?という視点で考えて観よう。

みなさんは、古い文豪の小説などを読んだことがありますか?

ああいう半世紀くらい前の作品というのは、とても読むのが疲れる、難しいと感じる人が多いのではないだろうか?

それは、文章構成が全てを説明していないので、読む側が想像したり考えたりして読んでいるので非常に頭を使っているため疲れるんだ。

でもそういった構成だからこそ、読んだ人それぞれの感想があり、とても感銘を受ける人もいればつまらないと思う人もいる。

芸術というのは、それでいいんだと思う。

100人が100人全員が作品に対して理解してくれるのを目指すべきではないと思う。

「分かる人が分かれば良い」という突き離しではなく、「そりゃ読んでる人間が違うんだから違う感想があって当たり前だよな」という観点なんだ。

そういう意味で考えると、鎬(しのぎ)を削る音楽界では、より多くのファン、より多くの売り上げ、より多くの継続性を目指して、作品が出来るまでのリソースに対して最大限のリターンを目指しているから、誰が聞いても同じ感想が生まれる作品となっている。

そして、詩や曲を作る人もプロで聴いた感がある”旋律””メロディー”構成””詩”など黄金律に従って作っているため、多くの耳に伝わるというわけだ(まあ大手になればプロモーション力も相当なものだろうけど)

同様に邦画に関しても僕は同じ様に感じる事が多い。


余談だが、これは別に芸術に関する物だけではない。

工業製品、中でも日本の自動車は顕著に”ユーザーフレンドリー”に傾倒している。

「誰でも乗りやすい」をキーワードに、安全装備に快適装備など一昔前では考えられないような装備が充実している。

それ自体が悪いとは言わないが、自動車を運転するというのはそんな軽いことではないと僕は思う。

ぶつからないようセンサーを満載。ドライバーの表情から眠気を検知など。

それはドライバーをどんどん運転を下手にさせ、運転に対する真摯さを失わせる原因になると僕は思っている。

そりゃ事故が減ること自体は良い事だと思う。しかし、それはハード(自動車装備)に頼り切るのではなく、ドライバーの意識(ソフト)をもっと向上させるべきだろう。

ありきたりな免許センターで免許を取ったら生涯運転出来てしまう(高齢者テストはあるが)。そんなんじゃ、自動車というのは自動運転だけすればいいという流れも納得だ。


まあ話がそれたが、上記の2つのテーマは共通の問題を話している。

つまりは、消費者が作り手側に依存し過ぎているという事だ。

「芸術をもっと広めよう!」という動きは僕以外にも沢山の人達、自治体が動いている。でもそのほとんどが、”作り手側の視点”のアクション・改革ばかりなんだよね。

最初のきっかけとしてはそれでいいけど、本質的に芸術を広めたいのなら、作り手側と観客が一緒になって盛り上げないと意味がない。

観客は何かイベントが起きるのを待っているだけで、何かあれば行ってみる(行ってくれるだけマシとも言えるが・・・)それじゃダメだ。

観客も芸術に対して真摯に向き合い、思った事や感想など考えを作り手側・同じ観客の人達と交わせ、”作り手”と”観客”という壁を壊して何かやらないといけない。

もちろん、そういう人が少なからずいるのも知っている。でもまだ日本の芸術に対する見方は受動的だ。

だから作り手側も何かイベントを起こすのなら、観客も一緒に何かに取り組めるイベントを検討すべきだと思う。

申し訳ないが、作品をどこか画廊で飾って芸術に関心がある人だけ観に来れば良いというのは、いつまでたっても芸術後進国から脱せないだろう。

個展をやるのも素晴らしいが、もっと良いのは、今まで興味が無かった人を巻き込んでやれればもっと素晴らしいと思う。

まあ言うのは簡単だが、行うは難し。

だけど、この本質が分かっているのと、分かっていないで漫然と活動するでは、この後の活動内容、大きく言えば日本の芸術史に大きく関係してくると思う。


芸術とは生活必需品ではない。

無くても生きていける。

でも芸術的感性の無い人に魅力はあるだろうか?


僕は、「哲学」と「芸術」はとてて似ていると思う。

考えて、本質(答えという意味ではない)を見極め、生活に活かしていく。

今の時代はとても便利で、自分で考えなくても大体の事がネットに転がっていたりする。

でも人生で切羽詰まる時って大体答えが無く、自分で答えを作らないといけないなんだよね。そうやって考えて、行動して、反省して。生きていくうちに段々と自分なりの考え方が出来てくる。

だから僕らは最初から「これはこういうもの!」っていう答えが見えている事柄ばかりに依存してはいけないんだ。そうやって楽なものに甘えきっていると、何も考えられない、行動できない人になってしまう。

そりゃ時には、そういうのも良いけどさ。甘いものと同じで、ずーっとそればっかり食べてたら病気になる。


ようやく結論。

Q:”芸術はどうあるべきか?”

A:芸術を受動的に捉えるのではなく、観る側も一緒に芸術に参加する


参加するっていうのは、ただ観るだけ、聴くだけではなく、思ったことや感想を一人でも多くの人に話して、議論して欲しい。

別に観る側が勉強不足といっているわけではないよ。今はまだ作り手と観る側に高い壁があって、芸術=鑑賞するものっていうイメージが固着しているという話。


長くなりましたが、今回はこんな感じです。

色々書きたい事もあったんだけど、長くなりすぎたため一部削除しました。

こういう記事も観てくれた人達の何かのきっかけになれたら嬉しく思います。


次回は、2021年最後になりそうだけど、芸術論談義④を書こうかと思います。

テーマは「現代で芸術家になるためには?」で考えていきます。


それでは、ここまで読んでくれた方は本当にありがとう。

また次回!


Philip/K/Kom


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