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【芸術論談義】AIアートとどう付き合っていくか?




こんばんは。Philipです。

あっという間に5月ですよ。

この時期は、5月病になってしまい、気力が落ちるのですが、なんとか生きています。


普通5月病とういのは会社員がなるものだと思うのですが、関係ないみたいですね。


ようやく花粉の量も落ち着いてきたらしく、すこしマシになりました。


さて、今日は多少体調がマシなので、芸術論談義で今回はちゃんとアートに関してのテーマでやっていこうと思います。

どうぞお付き合い宜しくお願いします。


以前の芸術論談義でも「AIアート」について書いた記事があるので、先にそちらをご覧頂けるとすんなりいくと思います。



<AIアートの現在>

どうやら、AIが制作した絵がコンテストで優勝したらしいですね。


これに関して、有識者や参加者から不満の声が挙がっているそうです。


<AIアートは何が問題なのか>

色んな意見がありますが、AIアートが何が問題なのか言われているものとして

・アーティスト自身が制作していない

・楽をしている

・AIはアーティストではない

とかあるようです。


んー。人間というのは実に面倒くさいものだと実感できる出来事ですね。

私個人としてはAIアートに関してはどうとも思いません。


というのもAIが制作している”要素”というのは、過去・現在のアーティストの良い部分の抽出物であるからです。

つまり、アーティスト自身が制作していないというのは確かですが、その中身はアーティストの技術だったり表現方法の集合体なんですね。


だからこそ、まじりっけ無しに素晴らしい構図や色彩が表現できるわけです。

まあ、いうなれば「味の〇」みたいなもので、良い所のみを表現した産物です。


確かにAIアートのアプリケーション自体はアーティストでは無いですが、その前提となる部分は多分にアーティスト要素が詰まっているわけです。


要は、アートに関する「良い」とされる要素を考え、表現するのは、あくまで人間のアーティストです。

問題視されているのは、そのアーティスト達が心血を注いで考え抜いた”表現方法”や”技術”がいとも簡単にAIに取り込まれるという事です。


しかし、よく考えてみてください。

いまだかつての名だたる名画家達も、師匠や他のアーティスト達を模倣したり真似したりしていって、自分なりの表現方法を確立していっています。(一部アウトサイダーアーティスト以外は)

それが、人間なのかコンピューターなのかの違いです。


僕の考える、今のAIアートのこの気持ち悪さは、いわゆる「不気味の谷」みたいなものだと思います。


AIというのは、独立して存在は出来ません。(現在は)

人間がアルゴリズムを考えて、どう動くかを作っています。

それが、現在では「AI」という、何か得体のしれない「自分達人間以外」がアート業界に入ってくるのにアレルギー反応を起こしているんだと思います。


でも考えてみてください(2回目)

世の中の、電気や水道、インターネット、クレジット決済などありとあらゆるインフラや設備はほとんどがAIで自動化されています。


それにご存知かは分かりませんが、音楽に関しては、旋律やメロディーというのは黄金則にしたがってある程度はコンピューターで自動生成されているものも多いです。


実益的なものはAIでも良いけど、芸術に関してはまだ”人間の聖域”として考える人は多い様です。


<AIアートは”正しい”のか?>

今回、コンテストで優勝した作品は僕も観ました。

まあ、僕が好きな雰囲気とは違いますが、構図としてはほぼ完璧ではないですかね。


ここで疑問。

この作品を評価したのは「人間」です。

つまり、「良い」「悪い」の評価判断したのは、審査員なんです。

では、この作品はAIが作ったからという理由で、この「良い」「悪い」の判断基準は変わるのか?

いや、変わったらおかしいですよね?

評価しているのは、あくまで「作品」であって「作者」ではないんですから。


ただし、このコンテストの応募項目に”AIアートはダメ”となっていたら話は別です。

それは、前提条件ですので、そのルールに反して応募していたなら失格となるでしょう。

しかし、それでもあくまで「作品」は「作品」です。

それを「素晴らしい!」と思う人がいれば、それでいいじゃないですか。


<今後のAIアート>

AIで作品を作るのが楽かどうかは、僕はやった事が無いのでわかりません。

しかし、今後AIアートはどんどん増えていくと思います。


なぜなら、画家業というのは「技術」×「発想」×「作品数」でほぼほぼ評価が決まります。

これは、途方もない修行と苦行の道です。しかもほとんどの作家は売れずに終わってしまいます。


それが、半自動で”大衆受け”するアートが量産できるのであれば、それは経済効果、産業として増えていくのは自然でしょう。


今はまだ、AIにティーチングするのは人間ですが、これからはAI自体が膨大なネット情報やビックデータから自分で学習し、大量に商品(作品とは呼びません)が生まれる事でしょう。


<AIアートの問題点>

僕個人としてAIアートの問題点を挙げるとすれば、それは”観る側”の感受性が衰えたところにあると思います。


より美麗で、より良い構図で、より良い色彩で。

こういった教科書通りの観方で評価するなら、今後はAIアートに勝てるアーティストはいなくなるでしょう。


アートの良い所は、そういった画一的な要素以外に、「思想性」や「勢い」、「作家の個性」が表現出来るところにあると思います。


僕が考える、アート界のディストピアは、AIが作って、AIが評価する時代です。


人間様は、「あの有名AIが作ったんだからきっと素晴らしい作品だ!」とか「あのAI審査員が90点を付けているんだから間違いない!」とか言い始めるんでしょう。


それは絵だけではありません。

映画でも、スポーツでも、ありとあらゆる判断が必要とされるものに関係します。


こうなると、もう人間は感性を必要としなくなるでしょうね。

少なくとも、日本人は花鳥風月などの情緒感に関しては、著しく衰えている部分も感じますし、季節感や行事なども若干形骸化しつつあります。


<AIと人間の付き合い方>

まとめです。

僕は、このテーマについては「攻殻機動隊(原作)」と「ブレードランナー(アンドロイドは電気羊の夢を見るか?)」と同じ事だと思います。


どちらも詳しくはご自身で調べてください。


「攻殻機動隊(原作)」は80年代でインターネットの構想や電脳化・義体化など時代を超絶に先取りした天才「史郎正宗」先生による作品なんですが、その中で電子情報の中で生まれた超生命体が登場します。

それは、実体さえないものの、意識もあり、自分で考え行動をするとなっています。

まさに現代のAIの様な存在ですね。


「ブレードランナー(略)」でも人間と全く見分けのつかないアンドロイド「ネクサス6型」というのが登場します。


何が言いたいのかというと、人間とAI(人工知能)という壁というのは一体どこにあるのか?ということです。

全く人間と同じ機能をもつモノが出来たとしたら、それは”人間とどう違うのか?”という問題にぶち当たります。


まさに「AI」という映画でもあるように、AIに”人権”が発生するのか?

”感情”や”判断”をどう定義するのか?


それが決まっとき、もはや純人間というのは何の役にも立たないただのお荷物になるかもしれません。

それは「ターミネーター」でもあったような「スカイネット」による人間の粛清へと移っていくのかもしれません。


今までは、「人間」と「人間」の戦争(実際の戦争もそうだし、様々な業界でも)でしたが、これからは「人間」と「AI」との戦争の時代に入っていくというのが僕の予想です。



長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

また体調の良い時にでも色んなテーマで書いていきたいと思います。


Art of Heart


Philip/K/Kom

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